聖ニコラス 広い前額の白髭に無帽で左手に福音書を持っています

引用:フェリシモ出版 フェリシモ クリスマス文化研究所編著 Chiristmas Gallery SANTA CLAUS サンタクロースとその仲間たち
サンタクロースの誕生

聖人としてヨーロッパで広く人気のあった聖ニコラスは、オランダではジンタ・クラースと呼ばれ、アムステルダムの守護聖人でした。海難から船を守ってくれる守護聖人でもあったため、中継貿易で繁栄を築いていたオランダ人にとって、たいへん馴染みのある人物でした。13、14世紀頃から、12月6日に「ジンタ・クラース祭」が催されるようになりました。子どもたちのもとにプレゼントを持ってきてくれる、優しいけれど厳しくもある聖人として、子どもにも大人にも大切な存在でありました。

その後、16世紀の宗教改革によってプロテスタント(新教)を信仰するようになったオランダでは、ジンタ・クラースは信仰の対象から外されました。しかし、彼の存在は贈り物を贈るという行事として受け継がれることになりました。

一方、15世紀末の大航海時代に発見された新大陸に、ヨーロッパの国々は植民地の建設を始めました。オランダ人も1620年代にマンハッタン島にニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を建設しました。ここに移民してきたオランダの人々は、12月6日にジンタ・クラース祭を行い、その前日には子どもたちへプレゼントを配りました。このようにしてジンタ・クラースは、オランダの風俗として新大陸に伝えられていきました。

その後オランダ領ニューアムステルダムは、1644年にイギリスの植民地となり、ニューヨークと改称されました。しかし、オランダ系移民の独特の風習であったジンタ・クラース祭とその前夜に贈り物をする習わしはそのまま受け入れられました。

こうしたジンタ・クラースの存在と贈り物をする風習が、初めてアメリカの文学作品に登場するのは19世紀に入ってからのこと。1809年にワシントン・アーヴイング(1783-1859)によって書かれた『ニューヨークの歴史』にその描写を見ることができます。オランダを離れてから140年は経過しているため、ジンタ・クラースではなく、英語読みのセント・ニコラスとなっています。また、プロテスタントが祝うセント・ニコラスをサンタクロースと呼びはじめていたようで、この本の中ではセント・ニコラスとサンタクロースが並列して使われていました。

アーヴイングの描いたセント・ニコラスは、縁の広い帽子とだぶだぶぶのズボンといったスタイルで、パイプをふかし荷馬車にプレゼントを積んでやってくる陽気な人物。子どもたちが用意した靴下にプレゼントを入れて帰っていくのでした。

この作品によって19世紀の初頭には、サンタクロースが子どもたちにプレゼントをもたらす風習が、すっかりアメリカの風俗として定着していたことがうかがえます。しかし、この当時サンタクロースが訪れるのは12月24日のクリスマス・イブではなく、依然として12月5日の夜であったようです。